幸福論
お世話になっております、私です。
今年も6月がやってきました。
6月11日、推しの誕生日です。
毎年お祝いできるって嬉しいね。
ものものしいタイトルではありますが、そこまで堅くはないはずです。
少し前の撮影会で推しとお話ししたことが、今回のテーマに繋がります。
会話の前後は割愛しますが、
推しが私に「しなこちゃんには、幸せになってもらいたい」と言葉をかけてくれたことがあります。
幸せ、ねぇ〜
自分はもともと幸福に対する閾値が高いというか、
『自分が幸せになるには、私よりももっと幸せになるべき人たちがいて、その人たちが幸せにならないと自分の順番が来ない』
そういうロケット鉛筆的な考え方を持っていました。
だから、幸せになる、にはまだまだ順番が来ないだろうし、生きている間にさて幸せになれるのかな、などと捻くれた感情を持っていたりして。
生きづらそう〜〜(ドン引き)
わかる。
実際生きづらいなと思うこともあるし、
勝手に不幸ぶってあえて幸せを避ける、みたいなことを今思えば昔はやっていたかもしれません。
嫌なやつすぎますね。
てか今もやってたらごめん、友人たち。
で、話を戻すんですけど
「幸せになってもらいたい」という言葉をもらったとき、私にとっての幸せってなんだろうって考えたんです。
真っ先に浮かんだのはあづくんのことでした。
まぁ、目の前にいるしある種それはそうなのかもしれませんが。
でもやっぱり、ライブを観る、撮影会でお話しをする、とかそれに付随するたくさんのことを通してあづくんを見つめる時間がとてもかけがえのない幸せな時間なんです。
だってね、めちゃくちゃ楽しいんですよ。
ライブは今日はどんなパフォーマンスなんだろうなってわくわくするし、いつも想像を上回ってくるんです。
歌もダンスもどんどん上手くなっていて、その成長に気付けることがとても嬉しい。
特典会ではライブの感想も趣味のこともくだらない話も、いろんなことを話せて、
あと急にふざけても笑ってくれます。(←とても大事)
なんか、語彙力がなくて大変恐縮なんですけど、本当に楽しいんです。
それに、たぶん、あづ推しとして彼と接するようになってからだと思うんですけど、割と先述のロケット鉛筆的思考が私の中から薄まっている気がします。
手放しで幸せ!と思っていられる時間が増えました。
幸せだと思うことに対しての畏れも小さくなりました。
なにか明確な出来事があったわけではないんですけどね。
でもそれってとてもすごくて、
人の思考ってなかなか変えられるものではないし、ましてや自分のことは自分がわかってるつもりですが、私は結構頑固なところがあります。
時間をかけてでも考え方が前向きになれたことも、それが自分以外の誰かが影響を与えてくれたことも、驚くべきことなんです。
ありがたいことだと思います。
幸せの形って人それぞれで、私が思い浮かべるものと推しが思い浮かべるものはもしかしたら似ているかもしれないし、まったく別物かもしれないです。
だから願うんですけど、
私はあづくんにも幸せになってもらいたい。
私が幸せだと思う形じゃなくて、あづくんが思う形の幸せで、幸せになってもらいたい。
でも、もうひとつあって、
私はとても欲張りだから、一緒に幸せになれたらいいな、とも思うわけです。
舌の根も乾かぬ内にまったく逆の思想を展開すな。すみません。
一見矛盾してるし、というかたぶん深掘りしていっても交わるところあるのかどうか果たして…って感じではあるんですけども。
幸せをいつも与えてくれる人に、何もお返しができないままなのは嫌だなって、
何か少しでもお返しというか、プラスの存在でいられたらいいなって、烏滸がましいんですけどそう考えていて、
うーん、自分でいっておきながら難しいですね。
でも、そうですね、相反するものかもしれないけれど、どちらも紛うことなき本心であることには変わらないですね。
だから自信を持ってこの気持ちはふたつとも心に置いておきます。
とっ散らかってしまいましたが、
総括すると、あづくんに出会えて好きになれてよかった、という話でした。
あづくんへ
私を幸せにしてくれて、
幸せでいてもいいんだって思わせてくれて、ありがとう。
おかげさまで前を向けるし、呼吸がしやすいです。
あなたの幸せを心から願っているし、もしその先に少しでも私がいたら何よりです。
これからの日々が穏やかで優しくて幸せに満ちた毎日でありますように。
お誕生日おめでとうございます。
大好きです。
おわり。