手をとりあう未来
どうも、私です。
年々脳みその容量が小さくなってきている自覚があり、忘れたくないことも忘れてしまうのがこわい。
少しでも残しておきたいなと思ったのでブログを書くことにしました。
とはいえ自分のご都合主義で記憶が改竄されている可能性もあり、まぁ、そこはご愛嬌ですね。(愛嬌で済まされる程度でいようね)
今回のブログは、
あづくんの聖誕祭と、ラムネ商店街のツアーでのソロについてです。
それぞれ2ヶ所ずつありました。
時系列で表すと、
5月17日 ソロ(ツアー大阪1部)
↓
6月11日 聖誕祭(東京)
↓
6月20日 聖誕祭(静岡)
↓
6月28日 ソロ(ツアー福岡2部)
すごい、約1ヶ月半の間にぎゅぎゅっとしている。
しかもこの間にツアーの他の場所があったり、リリイベがあったり、お友達の聖誕祭にも出たり、盛りだくさんでした。
ちなみに、ツアーそのものについてはまたちゃんと改めて書きます。書きたいので。(言った)
(こうやって書くことで逃げ場をなくしていくスタイル)(まぁ楽しみにしている方はいないと思うので、これもまた自己満足ですが)
大阪のソロの話から
まず口を開けばという感じで何度も言及しているのですが、私はあづくんのパフォーマンスが大好きです。
かつ、ツアーなどでのソロや自分たちで選べるユニット演目での選曲にも全幅の信頼を置いています。
だから、今回もきっといいソロになるに違いない。
これはまぁ予想というよりも確信に近いものでした。だって毎回そうだからね。
そして、あえて何をやるかの予想はしないで臨もうと思っていました。当たらんし…
ただ、前日の撮影会でヒントを話してもらったので、「予想しないで臨む」は華麗に頓挫してしまったのですけどもね。
ヒントを教えてもらって、少しだけ予想をして臨んだ大阪当日。
見事に予想のはるか上空から答えが降ってきました。
ステージにひとり残ったあづくんの口から、
「それでは聞いてください、あすなろ☆シャイニースター」
と曲名が振られたとき、一瞬呼吸ができませんでした。
なるほど、なるほどね………
この曲は、2024年に行われたパンダドラゴンのホールツアー「パラゴン学園 スター☆ロード」に向けて作られた曲です。
つまり、あづくんにとっては披露する回数が少なかった曲です。
私にとっても、披露しているあづくんを観る機会が少なかった曲、包み隠さず言うとあまりいい記憶がない曲です。
これを書いているときに思い出したというか、記憶を掘り起こしてみたんですけど、
あのツアー、あづくんのお休みが発表されてからもそこそこ足を運んでいたものの、ツアー中のこの曲の記憶があまりありません。
なんかでもずっと泣いていた気がします。
そういう曲だから、自分の中では頭にも浮かばない選択肢でした。
曲振りを聞いて、当時のことを思い出し、自分なりに選曲の意図を解釈して(←ここまで15秒くらい、こういうときは頭が回るらしい)
涙が止まりませんでした。
ひとつ前のブログでも書きましたが、あづくんは折に触れて、過去を、当時の気持ちを清算する機会を与えてくれているように感じることがあります。
今回も、そうなのかなぁ〜と勝手ながらに想像したし、
過去から逃げないでいてくれること、目を向けてくれること、とてもかっこいいなと思いました。
だからこそ、こちらが嬉しい気持ち、幸せな気持ちに書き換えることができるのでね。ありがたい話でもあります。
パフォーマンスももちろん最高で!
あの曲は結構振付も激しい(大きく動くという意味合いで)から、グループでパフォーマンスするのも大変そうなのに、ソロで、ひとりで歌って踊るをやってのけてとてもすごかった。
やっぱりあづくんの歌が好き。(もちろんダンスも好き)
客席を見回しながら、ステージの端から端まで動きながらパフォーマンスするところを観て、あづくんってアイドルだなぁと強く感じたことを覚えています。
アイドルでいてくれてありがとうね。
正直、曲の最初から最後まで泣きっぱなしで、でも泣けたから、あのツアーに対する感情への清算ができたといいますか、どこかすっきりして心が軽くなったような気もしました。
とはいえ、終演後の特典会で、「ギャン泣きだったね!」と言及されてしまい、結構お淑やかにさめざめと泣いていた自認だったため、そ、そんなに泣いてた〜!?と自分にやや引きはしました。
でも見つけてくれて嬉しかったです。
やはりあづくんのパフォーマンスと選曲には敵わないなぁ〜と、ある種の悔しさと敗北感がありつつ、次に訪れる聖誕祭への期待が高まったソロでした。
そして迎えた聖誕祭東京公演。
6月11日はあづくんのお誕生日当日です。
リアバに聖誕祭ができることって、その日に会場を押さえられることや、スケジュールの兼合いなど、さまざまな幸運が重なっての開催なんだろうなと思います。
「天使に花束を」から始まった聖誕祭は、終始優しくあたたかな空気に包まれていて、多幸感そのものでした。
この曲を歌っているときのあづくん、とても表情が柔らかで楽しそうで、好きです。
東京公演はゲストが多く、あづくんがどれだけたくさんの人たちから愛されているのかが伝わってきて、それだけでもこちらの目尻が下がりました。
そして、おかげさまでたくさんのコラボ演目を観ることができました。
げんとくんとの「Muddy Water」は、1月のDDPで披露されたときに衝撃を受け、アーカイブでも擦り切れるほど観ていたから、もう一度目の前であの演目を観ることができて嬉しかったです。
より近くで、目線や表情、指先の動きまで追うことができて神。惹き込まれました。
ラムネ商店街と披露した「ボクアリウム」は、あづくんがサポートメンバーとなってから、いつかどこかで観たいと思っていました。
聖誕祭で観られるとはね、感無量です。
そしてネタバレですが、そこからツアー第二弾のセトリにも組み込まれていて、たくさん観る機会があって助かり案件。
そちらでもね、毎回違う表現で挑んでいて、目が離せないんですよ。
などなど、あげたらキリがないのでこのくらいに抑えます。
あっ、最後にひとつ。青野さんとの「拝啓、音楽に救われた人へ」チャンスはまたどこかで!!絶対にいつか観たい、それまで生きます。
ひとりでの演目もね、
「SPEECH」を久しぶりに観ることができて嬉しかったです。
とても大好きな曲、大切にしたい曲です。
もうなかなか(あづくんが歌うところを)観られる機会もないよなって思っていたので、聖誕祭という場で観られて幸せです。
晴れやかな表情で歌う姿、素敵でした。
「君の神様になりたい」は、きっとやるだろうなと思っていました。
歌ってみた動画で何度も聴いていた曲、目の前で表情や仕草も含めて歌うところを観られてよかったです。心を打たれました。
そもそもが早口で難しい曲を、自分の表現で披露できる力があること、表現者としてのあづくんが重ねてきた日々にも思いを馳せました。
ひとりで歌う最後の1曲として披露された「参年タイムキーパー」。
ここで来るとは思わなかった。こちらも大好きな曲です。
この曲は、配信でのソロライブや、過去の聖誕祭(2022年開催)でも歌われていたことがあります。
今年がいちばん良かったです。
ちょっと横道に逸れてごめんなんですけど、MeseMoa.(むすめん。)の曲って、いい曲が多いんですけど、彼らの技術の高さによって「いい曲」になっているよなとも思っていて。
だから参年タイムキーパーも歌うのが結構難しいと思うんです。
これまで歌ってきたときももちろん良くて、素敵でした。
そこから、あづくんがたくさん努力を積み上げてきたことが窺えて、それに気付けたことも嬉しくて、だから今年がいちばん良かったです。
そしてきっと来年以降も「今年がいちばん良かった」を重ねるんだと思います。
最新のあづくんが最高で最強のあづくんなのでね。
多幸感に包まれながら幕を下ろした東京公演の聖誕祭。
余韻に浸りつつ、さて、静岡はどないなってまうんやろな〜〜〜!!?と期待に胸を躍らせながら、1週間ちょっとを過ごしました。
雨の中の聖誕祭静岡公演。
されどライブハウス。休日の静岡ROXYを押さえられること、しかもあづくん1人で。
これは結構まじですごいことだと思います。
静岡公演は東京公演から1週間ちょっとでの開催です。
でもゲストはもちもちだけ。
どんな違いがあるんだろうなぁ〜とワクワクしながら開演を待ちます。
いや本当にすごかった。すごいとしか言いようがありません。
1曲目は東京公演と同じく「天使に花束を」から始まりました。
私はこの曲を歌うあづくんが好き。
何回でも観たい演目だし、聖誕祭の始まりにぴったり幸せな曲です。
1曲目が終わり、ほくほくとした気持ちで次の曲を待ちます。
始まったのは「僕はドン・キホーテ」
!?!?!?!?
そ、そんな2曲目からガラッと変わるわけ!?!?
ラムネ商店街の中でも好きな曲上位に入ります。
なぜならあづくんがかっこいいから。
この日も漏れなくとってもかっこよかったです。(←かっこいいあづくんを観ると瞳孔がバチ開くのであまり具体的な記憶が残らなくて悔しい)
衝撃を忘れられないまま始まった3曲目、「NA・NA・NA」
!?!?!?!?
ま、まだあるの!?!?
ありがとう!!!!!!!(感謝)
「NA・NA・NA」も好きな曲です。
なぜならあづくんがかっこいいから。
「僕はドン・キホーテ」は、ラムネ商店街のサポートメンバーになったあと、グループで何度か披露されていますが、まだまだあづくんのとてつもない引き出しが眠っているなと思わされる曲です。目が離せない。離したくないね。
「NA・NA・NA」のあづくんって本当に唯一無二でかっこよくて。
それがソロで披露してもというか、ソロだからこそ光る部分もありますよね。
曲中の歌声にも、ダンスと表情と最後のフェイクにもやられる。いや、全部やないかーーい。
あと、ちょうど観たいなぁ〜って気持ちのときに供給してくれるので、需給の一致も感じてそれもまた嬉しい。
初っ端からあづくんのやりたい放題、かっこいいところを余すところなく見せてくれて、こちらのライフはもう0よ!状態。早すぎ。
しかしこれは序章に過ぎなかった_______(映画の宣伝風に書きたかっただけ)
かっこいいあづくんだけではなく、かわいい、おもしろい、楽しそう。
いろんなあづくんがいて、たっくさん目に焼き付けることができました。
もちもちのみんなに向けた「あづクイズ」は、ほぼドッキリ企画でびっくりしました。自分が主役なときにやる人をあまり見ない企画ですごい。
あづくんが日頃から発信していることの他に、この企画で出題するために前日から伏線を張っていたらしく、周到加減と企画に対する姿勢の真剣さにスタンディングオベーションが止まりません。そういうところが好き。
それから、ゲストのもちもちとは、メンバーそれぞれと2人で披露した曲もありました。
仁科ひびきくんとの「ニバンセンジ」で
「そうだ、今日はこの僕の二番目のバースデー」と歌いながら、嬉しそうに自分を指すあづくんを見て、この曲を選んだ意味が浮かんで胸がいっぱいになりました。
もちもちのみんなとの演目が終わったあとに披露された「YOU&愛Heaven」
歌い終わったあとのMCで、この曲は、あづくんが大変だったときに聴いていた曲だと教えてくれました。
私自身も、大変なときに聴いて救われた曲というのがあります。
でもそれを、誰かに明かすのは、手の内を見せるようでこわい。
だからこそ、それを教えてくれて、自分の歌声で、聖誕祭で、歌ってくれたこと、真正面から受け止めたいと強く思いました。ありがとうね。
そのあとの「白い服を君と」は、静岡という地(ダブルミーニング)で、フルでパフォーマンスするところを観れて、僥倖。これに尽きます。
最後の1曲として選ばれたのは、「 アンラッキー☆BOY ( ́・ω・`)」。もちもちの4人で披露しました。
ひとりではなくみんなでラキボをやる。
ライブハウスでの聖誕祭、最後まで大きい声でコールをすることができて楽しかったです。
あと、こういうバンドサウンドの曲を歌うあづくんって本当にかっこよくて。この日はそれに幸せそうな表情が合わさって、最高で。
ずっとこの時間が続けばいいのになって思いながら大きい声を出しました。
ところでみなさん、聖誕祭の東京公演〜静岡公演をざっと振り返りましたが、お気付きでしょうか?
セトリのほとんどが変わっていることに。
東京と静岡、それぞれ10曲以上披露しているのですが、その中で被っていたのは2曲しかありません。
20曲近く、覚えたことになります。
さらには、このときあづくんはラムネ商店街のツアーの最中で、ツアーも第一弾と第二弾でセトリがガラッッッッッ(←ガチでこんだけッが多く感じる)と変わるタイミングでした。
上から目線になってしまう言い回しであんまり好まないんですが、
本当に、よくがんばったと思います。
尊敬でしかない。
東京と静岡、両公演に足を運んだことで、あづくんのやりたいことがより一層伝わってきたし、聖誕祭というものをあづくんがどれだけ大事にしているかというのも伝わってきて、嬉しかったです。
私も大切にしている、していたいと考えているイベントなのでね。
また逆に、両公演でセトリ入りした2曲が、より伝えたいことなのかな、とも思いました。
(思ったけどそうとは限らないということ、もちろん理解しています。)
「天使に花束を」と「ちゅるちゅるらぶ」
この2曲だけ、どちらでも披露されました。
それぞれの歌詞を読んで、納得。
あづくんは「好き」や「ありがとう」を言葉にするのは得意ではないと自称しています。
でもその分、聖誕祭で「好き」や「ありがとう」が歌詞にたくさん散りばめられている曲を歌ってくれます。
ステージから、楽しそうに、幸せそうにこちらを見渡してくれます。
言葉にすることは得意ではないのかもしれませんが、ライブの構成から、選曲から、表情から、こちらにたくさんの愛を伝えてくれます。
また、あづくんは「好き」や「幸せ」という気持ちを受け止められるようになったのは、我々オタク側がたくさんの愛を伝えてくれるからだと話してくれました。
それは私も同じです。
あづくんが、たくさん愛を伝えてくれるから、それを信じてまっすぐ受け止められるようになったし、幸せだと胸を張って言ってもいいんだと、幸せになってもいいんだと、思えるようになったんです。
今年も双方向であることを実感できて、嬉しく幸せな気持ちで静岡公演、2ヶ所の聖誕祭が終演しました。
あの、ここまででなんと6,000文字オーバー。
読んでいただきありがとうございます。
もう少しお付き合いください。
大阪公演でソロを披露したあと、「福岡ではやりたいことをやります!」と高らかに宣言していたツアー2度目のソロ。
そう宣言するときのあづくんって本当にやりたいことをやるので、心の中でニヤつきながら、しかしどこか緊張しながら会場に向かいます。
前日のリリイベ特典会(個別握手会)で、また少しヒントをいただいたので、ほな少し予想しましょか〜と予想をしました。
お友達とも話して、なんか今回は当たりそう!!
そんな気持ちでもいました。
結果、ものの見事に外しました。
また全く予想もしていなかったところからの選曲。
やっぱりあづくんのソロって当てられない。
曲振りを聞いて、息を呑みました。
「キョウイゾンミライ」
そ、それはさーーーーーーーーー(頭抱え)
あづくんには敵わないなって思いました。敵わないなって感じる人が推しであること、嬉しいことです。
今回は、ステージのセンターに立って、ほぼ歌のみでの披露でした。
だからこそ、あづくんの歌声、表情、仕草での表現が痛いほど伝わってきました。
でもね、泣かなかったんです。私。
自分でも驚きました。
「キョウイゾンミライ」は、曲名の重さに違わず重たい曲です。
でも、歌詞の内容は実は明るくて前を向いている曲だと私は思います。(個人の所感です)
何があっても、手を取り合って2人で前に進んでいく、2人ならそれができる。そう強く信じていることが伝わってくるんです。
だから、このタイミングであづくんが歌ってくれたことが嬉しくて、そしてその場にいることができて幸せで、その2つの気持ちが大きくて涙は流さなかったのだと思います。
でも少しだけ揺らいだところもありました。
最後のサビに入る前
「どうして どうして 僕を選んだの? 何度も 何度も 傷付けたけれど」
この部分です。
ここを歌うあづくんを見つめながら、彼がときどき「"あづを推す"ということは、不安が伴うと思う」と話すことを思い出していました。
聖誕祭でも話していました。
ここで曲が急に自分ごとになったというか、あづくん自身の吐露に感じて揺らぎました。
けどその後に続く歌詞は
「目を見て言うよ 離さない」
です。
不安を吐露した後に、まっすぐ「離さない」と伝えてくれる。
やはり強く前を向いている、向こうとしている曲だと思います。
あづくんも、まっすぐ前を向いて、客席側を見て、歌っていました。
だから、泣いてはいけないな、とも少しだけ思いました。
目を離してはいけないし、涙で濡れた顔を見せてはいけないような気がしたんです。
断言しますが、私はあづくんを推していて不安に思ったことはありません。
そりゃ心配はしますけどね。
けど、「このまま推してていいのかなぁ涙涙」みたいな不安は1ミリも感じたことはありません。
アイドルとしても、人としても、私はあづくんのことを素敵な人だと思ってますから。推しててよかったとしか思いませんよ。
「キョウイゾンミライ」を披露してくれたことに対して、一緒に未来を見ていいんだ、一緒に歩いていけるんだ、そう思えることができました。
これは、ある種、自分もここに至るまでに少し成長できたからこう捉えられるようになったのかなとも思います。
未来について歌ってくれること、それが本当に心から嬉しくて幸せで。
一緒に見る、歩いていく未来なら明るい方がいいですからね。
歌ってくれてありがとうございます。
長くなってしまいましたがそろそろ締めに向かいます。
この1ヶ月半の出来事、それぞれで区切ってブログを書こうとも書くこともできたんですけど、しませんでした。
なんだか、全てが一連の流れになっていると思ったからです。
過去の感情に対する清算と、現在への祝福。そしてそれを経て未来に向けて歩んでいくこと。
ひとつ欠けても今の自分の心持ちにならなかったなと思います。
だから、この期間余すことなく見逃さずにあづくんを見つめ続けられてよかった。
これからも、手をとりあって一緒に歩んでいけたらいいね。
いつの時代でも、あなたといられて幸せです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
みんな、目を休めてね。
おわり。
出会ってしまったが運の尽き
いかがお過ごしでしょうか、私です。
今年も推しメンのお誕生日がやってまいりました。
お祝いできて、嬉しい〜!
(のと、ブログが1年ぶりになってしまった自分の筆不精っぷりを猛省。書きたい気持ちと話題だけはあるんです、信じてください。)
今回のタイトルは、株式会社DDの社歌「君じゃなきゃ」から拝借しております。
会社の変化に合わせて歌割も変わるので(その前はえ〜すけ氏が担当していたと記憶しています)、同じ歌割を歌い続けることはないかと思うのですが、
2025年Ver.ではあづくんがこのフレーズを歌っていました。
10月の横浜アリーナ、年が明けて1月の武道館で行われたDDPで、あづくんがこのフレーズを含むパートを歌っていたことがずっと印象に残っています。
「運の尽き」
調べてみると
『 人の命運が尽きて最後の時が来たこと。また、そのことを事実として示しているような事柄。運の極め。運の蹲い。』(コトバンクより引用)(つまり引用の引用)
なるほど、結構マイナスなワードなのね〜
まぁ確かに、ヒーローが活躍する物語とか、探偵もの(これもまたヒーロー活躍系か)とかで悪役をたおすときによく目にするような気がします。
とはいえ、この曲を聴いていてもそんなにマイナスなイメージは浮かびません。
「出会ってしまったが運の尽き」
これは超個人的な国語辞典ガン無視解釈になるんですけど、
出会ったその時点で運が尽きるのだとしたら、そこからまた再スタートなのではないかな、と思うわけです。
実際、あづくんと出会う前と後を比較してみて、出会ったときに命運が尽きていたとしたら、その後はまた新しく始まっている気がします。
端的にいうと、オタク自我の芽生えってやつです。
人との交流も増えたし、こうやってブログを書いたりするようにもなりました。
出会って運が尽きたことで、私は新しい一歩を踏み出せたし、そのおかげで今楽しく過ごせています。
運が尽きるのも悪くないですね。
でももう、(この文脈で言うところの)運が尽きることはないのかなって思ったりもします。
なぜならあづくんのことが大好きだから。
あとまぁ、全く別アプローチの話で、
「出会ってしまったが運の尽き」を言い換えるなら「あなたが望むなら地獄だっていい」になるとも思うんです。
この話はまたいつか。
でも少し触れるなら、私は地獄だっていいと思っているよ。あなたといれば地獄だって天国。
さて、お誕生日に毎年ブログを書かせてもらっていると、その1年間にあったことの振り返りや、定点観測のような心持ちで筆を執るようになってきますね。実際に手に取っているのはスマホですが。
この1年、とても楽しかったです。
いや簡潔すぎる。
でもね本当に楽しかったんです。
てか今もめっちゃ楽しい。
あづくんがやりたいこと、やろうとしていること、これまでとは少し違った形かもしれないけれど、だからこそ全てが新しく感じて、より一層わくわくして過ごすことができました。
とはいえ、前だけを見て突っ走っているわけではなく、進んでいく中で、むしろこれまで残してきたものを拾い集め、大事なところにしまわせてくれる機会をたくさん設けてくれていたように感じます。
例えば踊ってみた現場の特典会の衣装でパンダドラゴン時代にツーショを撮ることが叶わなかった衣装を着てくれるとか、ラムネ商店街のツアーのソロで、歌う機会が少なかった曲を披露するとか。
そうやって、過去もまるっと含めての今があるということを忘れずに、そのときにあった記憶を楽しいもの、嬉しいものに書き換えてくれることが多々ありました。
とても嬉しかったです。
私自身は単推し過激派なので、常に前(というか推しメン)ばかり見てはいるんですけど、
でも、推しメンだけを見つめているからこそ過去に置き去ってしまった感情もあったわけです。
1年かけて、それらを少しずつ掬い上げて昇華させてもらえました。ありがたい話です。
それと、あづくんが個人で活動するようになってから、彼の誠実さや丁寧さがよりダイレクトにこちらに伝わるようになった気がします。
まぁ、こう、介す事象がシンプルに少なくなったからっていうのもあるんでしょうけれど。
でも逆に、個人で動くからこそできなくなってしまうこととかそういうのもあるはずなのに、この1年あづくんの現場に足を運んでいてもそんなことはなく、ずっと楽しく快適に過ごさせてもらっているんです。
優しい人、誠実な人、いろんな人がいますが、あづくんは「誠実であろうとする人」だと思います。
自分が考えている言葉の違いを説明するのは難しいんですけど、常に自分ができることすることに対して、意識的に最善を選び続けているような印象を受けるのです。
それができる人ってなかなかいません。
私もできません。
だからこそ、そうやって行動に移せる人を尊敬するし、尊敬できる人があづくんでよかったと心から思えます。
出会ってしまったが運の尽き
出会ったのがあづくんだったから、私の運が尽きてもそこから新たな一歩に繋がっていました。
おかげさまで今楽しく過ごせてます。
あづくんと出会えてよかった。
幸せです。
あづくんへ
お誕生日おめでとうございます。
今年もお祝いできて、嬉しい限りです。
私はあなたに出会えてよかったと思っていますが、あづくんにとってはよかったことに入るのかな?
これはずっと自問していますが、なかなか答えがでません。
それはそう、人の気持ちはわからないからね。
でも、出会えてよかったとほんの少しでも思ってもらえていたら、何よりです。
どうかお身体には気を付けて、素敵な一年をお過ごしください。
この先もずっとね、一緒にいられたら嬉しいです。
大好きです。
またねって魔法
みなさんどうも、私です。
今日は推しの誕生日です。
今年もお祝いすることができてよかった。
ここ数年、お誕生日に寄せてブログを書くのが恒例となっているので、書きます。
さて、
去年の6月11日と、今年の6月11日
大きく変わったことといえば、推しがグループを卒業したことでしょうか。
やや時間が経ってしまいましたが、
卒業が発表されてからのこと、を少し振り返ると
発表された当初は、ひどく悲しくて寂しくて動揺してずっとメソメソメソメソしていました。
でも、卒業を決めたこと、その理由を聞いたら納得をせざるを得なかったというか、「うん…そうだよね…」と思うしかなかったし、あづくんらしいなとも少し感じてしまった節もあり。
アイドルでいるあづくんのことをずっと応援し続けたかったのは事実なんですけど、でも彼のことを慮ると「絶対アイドルやめないで」なんて口が裂けても言えなくて。
その感情にも蓋をしちゃいました。ちょっと勿体なかったかなとも思います。
ただ、卒業後は会社*1には残ってくれて、できる範囲で活動は続けていく方向で。
その選択をしてくれたことがとっても嬉しかったです。
折に触れて申し上げているとおり(あとたぶん交流のある方であればうっすらわかるのではないかしら)、私はめちゃくちゃな単推し過激派で、強い表現をするなら、あづくんさえいてくれればそれでいいんです。
これからも、どこかしらであづくんのことを応援することができたらいいなと思っていたので、それがまだDDでできるのがありがたい限りです。
その選択をしてくれた推しメンに感謝ですね。
で、タイトルの話にうつるんですけど(急な方向転換)
「またね」という言葉について
あづくんは「好き」を別の表現で伝えるとしたら「またね」って言葉を選ぶんだそうです。
なるほどなぁ〜
「またね」って言葉、何気なく使ってたけれど、言われてみると「また会いたい」と思う人にしか使わないかもしれないですね。
「また会いたい」と考えることって、言葉にせずとも、心のどこかでその人の無事を願うことにも繋がるな、とも思うし、
確かに「好き」の別の表現として選ぶにはぴったりで、
いい言葉ですね。
グループを卒業することが発表されてから、卒業するまでの期間、そして今まで、
あづくんが「またね」って口にする機会が増えたような気がしていました。
これは体感だからもしかしたら事実はそうでもなくて、私のなかのご都合主義が反応しているだけなのかもしれないのだけど。
この先にも未来があること、そこでまた会えるんだ、会いたいって思っていいんだって、あづくんの「またね」って言葉を聞くたびに心が少しずつ軽くなっていく感覚がありました。
それこそ、魔法の言葉です。
でも、この「またね」に意味を持たせて、魔法たらしめたのってほかでもなくあづくんの力で。
広い世界の話をすると、
なにか言葉を発信するときの結びとして使って、いつもこちらへ優しくて温かい感情を伝えてくれていました。(もちろん今もね)
狭い世界の話をすると、
撮影会などで会いに行ったら、必ず別れるときに笑顔でこの言葉をかけてくれていました。
自分は、自己肯定感がそんなに高くなく、むしろ地底にのめり込んでブラジルにこんにちはするくらいの人間なので、いつもかけてくれるこの言葉に、たくさん救われていたなと振り返って思うのです。
言葉って不思議で、
同じ言葉だとしても、魔法になる場合も呪いになる場合もあります。
自分のなかに、呪いとして纏わりついている言葉もたくさんあります。
でも、あづくんがこれまでかけてくれた言葉たちは全部魔法で、時間が経っても私を元気づけてくれたり笑顔にしてくれています。
これはきっと、あづくんの人柄がそうさせているんだろうなと思うわけです。
どこまでも優しくて愛情深くて誠実でいようとする人ですからね。あなたって。
そんな素敵な人からもらった言葉たちだから、私も大事にしようと思えるんです。
どんなときでも真摯に発信してくれる言葉に対して、私もちゃんと受け止めて自分の中に落とし込めたらいいな、と、常々思っております。
改めてまして、
あづくんへ
お誕生日おめでとうございます。
今年もお祝いできたこと、喜ばしく思います。
このブログは、卒コンの日に向けて書いていたけど書ききれなかった言葉たちもあって、タイトルもそのままで。
当初はこのタイトルで「待ちつづけること」を伝えようとしたのだけど、
案外日々は動いていくものですね。
まだまだこれからも会える日々が続くことが、心から嬉しいです。
この先、進むことも立ち止まることも、もしかしたら少し後ずさりすることも、あるかもしれないです。
けれどどの選択も正解だと思います。
安心して、自分の気持ちを大切にしていてください。
これまでずっと、あづくんが意味を持たせてくれた「またね」という言葉に触れていたから、私は大丈夫。
そう思えるくらい、信じ切ることができている今が幸せです。
今年も変わらず大好きでいさせてくれてありがとう。
どうか優しい言葉たちで溢れた一年になりますように。
これは祈りです。
さて、そろそろ締めます。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
卒業してから今日まで、現場はあれど、実のところまだ会話は交わせていません。(ハイタッチはノーカンとさせていただきたい派なので)(硬派すぎ)
だから、いつか笑顔で会える日が来ることを夢見て。
またね、だね。
*1:事務所ですかね?株式会社DDってなんか事務所ってより会社って言いたくなりますよね。御社弊社界隈。
音楽に救われ続けてきたから
あけましておめでとうございます、私です。
推しメンのソロ曲について。
昨日、MVが上がりました。
たぶんみなさんもう既にご覧になっているとは思いますが、まだの方はぜひ。
静岡公演での初披露と投稿されたMVを観て持った感想と、いつも通りの自分語りです。
本当は
アルバムなどに収録されてちゃんと歌詞を読んでからだとか、
あづくんがブログか何かで曲のことを言及してからだとか、
作詞した青野さんがライナーノーツを書いてからだとか、
ぺるご氏やじゃぴ氏が曲作りのことに触れてからだとか、
制作陣の言葉を聞いてからの方がいいかなとも思ったんですけど、でも曲を聴いて自分が持った感想とか感情とかを、まっさらな状態で残しておきたい気持ちもあったので今このタイミングでブログに起こすことにしました。
SPEECHの感想*1を書いたときも、ブログにすればよかった〜と今更ながら若干後悔しているのもありますし。
前置きが長くなりました、失礼しました。
先に申し上げておきますと、これは私個人の感想と解釈です。
きっと解釈違いだと感じる方ももちろんいるでしょうし、これから制作陣からの言及があり、その上で私の感じたことが間違っていることもあると思います。
人それぞれ、ということでご容赦いただけますと幸いです。
始めますね。
2024年の冬ツアーで、各メンバーが凱旋公演にてソロ曲を披露することが決まり、果たして推しメンはどんな曲になるのか。
とても楽しみにしていました。
まず大前提として私はあづくんのパフォーマンスに全幅の信頼を置いています。
歌もダンスも表現も、本当に外さないし、想像を超えるものをいつも見せてくれるんです。
だからどんな曲がきてもきっと私は好きになるんだろうという、謎の確信がありました。
静岡公演。11月29日。
10月の終わり頃に活動をお休みする発表があって、でもこの日ソロだけは披露してくれるとのこと。
嬉しい気持ちと、無理しないでほしい気持ちが半分ずつ、ごちゃごちゃとしたままその日を迎えました。
2部。ソロの披露。
久しぶりにステージへと現れたあづくんはやっぱりかっこよくて、心臓がきゅっとしました。
まず姿を見れて嬉しかった。*2
ツアーではソロ曲が始まる前に、メンバーがタイトルを発表してから曲が流れます。
「拝啓、音楽に救われた人へ」
あづくんが発したタイトルを聞いてハッとしました。
そうか、そうきたか。
と思ったのも束の間、疾走感のあるイントロが流れ、大好きなあづくんの歌声で、等身大な曲が披露されました。
ステージで歌っている姿に目を凝らし、歌詞に耳をそばだて、文字通り、全身全霊で観ていた気がします。
曲が終わってステージから姿が見えなくなった後、涙が止まりませんでした。
予想通り、大好きなソロだったし、予想以上に、大切にしたい曲がそこにはありました。
正直な話、今回のソロ曲ってつまり新曲ですから、曲のテーマとか曲調とか如何様にもできるじゃないですか。
いつ曲が作られたのか、それは推測するのも野暮かぁと思うので、現時点ではあまり深くは考えないようにしますが、それでもこのタイミングでこんなにも等身大の、逃げも隠れもできないような曲を引っ提げてきてくれたこと、頭が下がる思いです。
ちゃんと受け止めて、できることなら齟齬なく理解したいなとも思いました。
少し時が流れ、カウコンでMVが投稿されると発表があったとき、驚きました。
アルバムに収録されるのが先かなと思っていた(というか、MVがまさか作られるとは思っていなかった)ので。
あづくんのソロ曲もMVが上がるようでした。
カウコンで流れるティザーを見て、涙。*3
どんな形のMVになるのだろう。
というかまず、お休み期間中なのに撮ってくれてありがとうすぎる。
そう思いながら、そわそわしながら年始を過ごしてやってきた1月5日。
とてもとても素敵なMVですね。
新しい髪色になって、自身で選んだという服を着た推しメンはとってもかっこよくて、
パンケーキを作って美味しそうに食べるところはかわいくて、
晴れやかな表情で歌う姿と優しい笑顔に心がぎゅっとなりました。
実はこのMVを見てまず思い出したライブと演目があります。
2023年の冬ツアー「おもちゃ箱」の福島公演1日目で披露したSPEECHです。
その日、その公演で、あづくんはとても晴れやかな表情で、優しく大事そうに歌っていました。
その姿を見て、上手くは言えないけど「大丈夫だな」と思ったことを覚えています。
私のことも、あづくんのことも。*4
このことがずっと印象に残っていて、私の中で大切なライブのひとつになっているのですが、そのときの記憶と感情が思い起こされました。
数多ある感情の中から選ばれた表現で、こんなにまっすぐ澄み切った素敵な映像になったこと、答え合わせは難しいと思うのですが、自分なりに考えて、答えを出して、大事にしたいです。
そして、やはり歌詞についてです。
音源ですから当然っちゃそうなんですけど、ライブのときよりさらに鮮明に歌詞を聞き取ることができて、また胸を打たれました。
今回のタイトルの通り、私自身ずっと音楽に救われてきています。
(ようやくブログタイトルの回収ができそうです、長い道のりでした)
だからといいますか、歌詞の内容が、烏滸がましくも自分が通ってきた道と重なることが多くて、驚きました。
あまり憶測で物事を決めつけたように話すのは好きではないのですが、たぶんこれは、あづくんも、作詞をした青野さんも、音楽に救われてきたであろう方たちだからなのでしょうね。
私は、音楽が好きで、普段からよく自分の境遇や感情と重ね合わせて曲を聴いています。
辛いことや悲しいことがあったとき、やるせない夜を迎えてしまったとき、下を向くしかできなかったとき。
上手く生きることが難しい日々が続くなかでも、音楽に救われてきたから、なんとか今ここにいられるんです。
そうやって生きてきた人生のこと、好きなことに救ってもらって今があること、別に後ろめたさを感じたことはなかったつもりです。
でも、今回「拝啓、音楽に救われた人へ」を聴いて、そうやって歩んできた今までのことを肯定してもらえたような、なんだか報われたような気持ちになれました。
この曲を聴いている途中、昔のことを思い出して苦しくなるタイミングが何度かあります。
でも最後、「拝啓、音楽に救われた人へ 壊れてない部分はまだあるかい?」と問いかけてくれるところで、苦しかったあの日音楽に救われて首の皮一枚繋がって、結果今ここにいる自分へと目を向けることができるんです。
だから、最後は晴れやかな気持ちで曲を聴き終えることができます。
とんでもない構成の曲だと思うし、ストレートに歌詞を伝えてくれるあづくんの歌声ってやっぱりすごい力を持っているなと、改めて痛感します。
出会うことができてよかった曲が、また増えました。
しかも大好きなあづくんが関わっている曲で。
大切な人のソロ曲を、まっすぐ受け止めて大事にしたいと思える。幸せなことです。
「SPEECH」が私にとってお守りの曲であるとしたら、この「拝啓、音楽に救われた人へ」は寄り添いの曲です。
似ているけれど、少し違う。
でも、心の1番大切なところに置いておきたい2曲です。
たぶんきっと、これからもどうにもならない日々が巡ってくるはずです。
てかまぁ正直今も結構キツい。
それでも、この曲たちがあるからなんとか前を向くことができそうです。
大事なソロ曲。
静岡のステージに立ってくれて、MVを撮ってくれて、歌を残してくれて、本当にありがとう。
こちらはおかげさまで心が晴れてます。
そちらもどうか穏やかな日々を過ごせていますように。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。
おわり。
*1:そんなに長くないことと、あまりにも自分語りだったのでTwitterに投稿したんですよね。その後普通に自分語りブログが増えたので、備忘的にここにも貼っておきます。
*2:横道逸脱陳謝案件ですが、私は今回のあづくんのツアー衣装が本当に大好きなんです。今まで見てきたアイドル衣装の中でも断トツに。だから久しぶりにツアー衣装を着ている姿が見られたことも、非常に幸でした。
*3:いやティザー前にも本編で号泣してたやないかーいという、連番した友人と周りにいた友人のツッコミが聞こえてきます。その節は大変失礼つかまつりました。というか今回のツアー、涙を流さなかった公演がなかったな。
*4:なんかこれだけを切り取って文章に残すと誤解を生みそうで怖いではあるのですが、うまい表現が見つからないのでおのれの文章力を呪います。
幸福論
お世話になっております、私です。
今年も6月がやってきました。
6月11日、推しの誕生日です。
毎年お祝いできるって嬉しいね。
ものものしいタイトルではありますが、そこまで堅くはないはずです。
少し前の撮影会で推しとお話ししたことが、今回のテーマに繋がります。
会話の前後は割愛しますが、
推しが私に「しなこちゃんには、幸せになってもらいたい」と言葉をかけてくれたことがあります。
幸せ、ねぇ〜
自分はもともと幸福に対する閾値が高いというか、
『自分が幸せになるには、私よりももっと幸せになるべき人たちがいて、その人たちが幸せにならないと自分の順番が来ない』
そういうロケット鉛筆的な考え方を持っていました。
だから、幸せになる、にはまだまだ順番が来ないだろうし、生きている間にさて幸せになれるのかな、などと捻くれた感情を持っていたりして。
生きづらそう〜〜(ドン引き)
わかる。
実際生きづらいなと思うこともあるし、
勝手に不幸ぶってあえて幸せを避ける、みたいなことを今思えば昔はやっていたかもしれません。
嫌なやつすぎますね。
てか今もやってたらごめん、友人たち。
で、話を戻すんですけど
「幸せになってもらいたい」という言葉をもらったとき、私にとっての幸せってなんだろうって考えたんです。
真っ先に浮かんだのはあづくんのことでした。
まぁ、目の前にいるしある種それはそうなのかもしれませんが。
でもやっぱり、ライブを観る、撮影会でお話しをする、とかそれに付随するたくさんのことを通してあづくんを見つめる時間がとてもかけがえのない幸せな時間なんです。
だってね、めちゃくちゃ楽しいんですよ。
ライブは今日はどんなパフォーマンスなんだろうなってわくわくするし、いつも想像を上回ってくるんです。
歌もダンスもどんどん上手くなっていて、その成長に気付けることがとても嬉しい。
特典会ではライブの感想も趣味のこともくだらない話も、いろんなことを話せて、
あと急にふざけても笑ってくれます。(←とても大事)
なんか、語彙力がなくて大変恐縮なんですけど、本当に楽しいんです。
それに、たぶん、あづ推しとして彼と接するようになってからだと思うんですけど、割と先述のロケット鉛筆的思考が私の中から薄まっている気がします。
手放しで幸せ!と思っていられる時間が増えました。
幸せだと思うことに対しての畏れも小さくなりました。
なにか明確な出来事があったわけではないんですけどね。
でもそれってとてもすごくて、
人の思考ってなかなか変えられるものではないし、ましてや自分のことは自分がわかってるつもりですが、私は結構頑固なところがあります。
時間をかけてでも考え方が前向きになれたことも、それが自分以外の誰かが影響を与えてくれたことも、驚くべきことなんです。
ありがたいことだと思います。
幸せの形って人それぞれで、私が思い浮かべるものと推しが思い浮かべるものはもしかしたら似ているかもしれないし、まったく別物かもしれないです。
だから願うんですけど、
私はあづくんにも幸せになってもらいたい。
私が幸せだと思う形じゃなくて、あづくんが思う形の幸せで、幸せになってもらいたい。
でも、もうひとつあって、
私はとても欲張りだから、一緒に幸せになれたらいいな、とも思うわけです。
舌の根も乾かぬ内にまったく逆の思想を展開すな。すみません。
一見矛盾してるし、というかたぶん深掘りしていっても交わるところあるのかどうか果たして…って感じではあるんですけども。
幸せをいつも与えてくれる人に、何もお返しができないままなのは嫌だなって、
何か少しでもお返しというか、プラスの存在でいられたらいいなって、烏滸がましいんですけどそう考えていて、
うーん、自分でいっておきながら難しいですね。
でも、そうですね、相反するものかもしれないけれど、どちらも紛うことなき本心であることには変わらないですね。
だから自信を持ってこの気持ちはふたつとも心に置いておきます。
とっ散らかってしまいましたが、
総括すると、あづくんに出会えて好きになれてよかった、という話でした。
あづくんへ
私を幸せにしてくれて、
幸せでいてもいいんだって思わせてくれて、ありがとう。
おかげさまで前を向けるし、呼吸がしやすいです。
あなたの幸せを心から願っているし、もしその先に少しでも私がいたら何よりです。
これからの日々が穏やかで優しくて幸せに満ちた毎日でありますように。
お誕生日おめでとうございます。
大好きです。
おわり。
ラフとポップが難しい
こんばんは、私です。
本当はTwitter(X)で投稿しようと思ったのですが、あまりにも長くなりすぎたので、こちらに残そうと思います。
[追記]
と、このブログを書いたのが去年の11月で、ちょっとだけ限定公開してすぐに下書きに戻したのだけれど、なんとなくまた公開する気持ちになったのであげます。また戻すかもしれないけれど。
普段書いているブログよりも、いつも以上にラフでチラ裏なので、まぁ薄目で読み飛ばしていただけると幸いです。
1年前の11月4日に起因する話。
1年経っての振り返りのようなもの。
当時の感情は当時の感情としてブログに残しているので、もしよかったらそちらを読んでいただければと思います。
ブログで書き残した後の話からにはなりますが、お付き合いいただけると幸いです。
急に始まります。
中野のOPで47の集合写真が順繰りに出てきて、途中からあづくんがいないのを認識したときどうしても駄目で涙が止まらなくて。
果たして幕が開いたときにステージの上にいるのかなって本当に不安で。
幕が開いて目の前に現れたとき、いることに安心してまた涙が止まらなくて。
しかも1曲目がHop Step xxxxなのがさ。
Hop Step xxxx、好きな曲なんですけど、なんで好きかというとラスサビであづくんが歌唱メンとしているからなんですよね。
だから、復帰公演の1発目がこの曲なのはとても攻めたなと思ったし、同時にあづくんに対する信頼とかそういうのもあったのかなぁと思い、勝手に嬉しくなりました。
もちろん、夢の舞台に立つからこの曲が最初に来たんだとは思うんですけどね。
中野が終わってもこの先ステージにいてくれるんだなと安心もした曲でもありました。(1曲目で安心するの早ない?)
でも、やっぱりこの1年、また目の前からいなくなってしまうんじゃないかって怯えてたところはあった。ずっと怖かった。
一度だけ。
またもしかしたら、って思ってしまったライブは正直ありました。
次の日の特典会、お話しできるのかなって、目の前にいるのを確認するまでは安心できなかったです。
でも私がいた現場で、本当にやばいかもってなったタイミングはそこだけで、あとはずっと楽しそうにライブしてる姿を見ることができてたんですよね。
全部に行っていたわけではないから全てを語れているわけではないですけど。
けど、ライブのときに元気なあづくんをまたたくさん見ることができてよかった。
私はステージに立つあづくんが1番好きだから。
この1年、パンダを取り巻く環境はオタクですら目まぐるしいくらい変化していて、当のアイドルたちはきっと想像を絶するくらい大変だったと思います。
それでも、アイドルでいてくれたこと、ステージに立ち続けてくれたこと、心からありがたいなって思います。
話は変わりますが、
SPEECHが大好きで大切な曲であることについて。
歌詞が素敵だから、曲が良いから、元気をもらえるから、あづくんが関わっているから。
もちろん大きな理由たちです。
でも根本には、この歌詞をあづくんに書かせてしまった、という罪悪感があるんですよね。
もしものことを考えるのは、愚かだとは思うんですけど。
好きな曲が生まれなかった世界の方が、もしかしたらきっと健康に世の中は回っていたかもしれなくて。
でも、そうじゃない世界になって、その線上で大好きな人が大切な曲を作ったのだとしたら、それは、愛するしかないなという。
半ば覚悟のような。ね。
1年前、一時的にとはいえ目の前に推しが現れなくなったとき、とてもとてもしんどかったんです。
しんどくなる自分がいることに気付いたことも、しんどかった。
だから素直にいこうと思って行動した1年ではあったんですけどもね。どうだったでしょうか(誰に対する問い?)
1人のオタクが何をできるかというのは本当に限られているし、ましてや対象年齢外、推奨される推し方(とは)(けど伝わるよね)ができない自分ですから、いることに果たして意味はあるのかみたいな自問はずっと心にあるんですけど。
それでも、この1年を過ごして、まだこの先の1年も、そしてもっと先の未来も、あづくんと一緒に過ごしていきたいなと今は思ってます。
なんや決意表明みたいになってしまいましたね。
本当はもっとラフにポップにまとめるつもりだったんだけどな。
さて、そろそろ終わります。
ここまで散文が過ぎており読みづらかったと思います。
最後まで目を通していただきありがとうございました。
ではみなさん、また現場でお会いしましょう。
おわり。
あるいは、光。
お元気ですか、私です。
今日は推しが誕生日なので、ブログを書くことにしました。
「あれ、数年前の4月にもそんなブログ書いてなかったっけ?」
そう思った方は大正解。よく覚えてますね、書いてます。
今日はもう一人の推しが誕生日なんです。
お祝いできる日がたくさんあって嬉しいね。
パンダドラゴンのあづくん。
今日の主役です。
推しの誕生日に書くブログって、本当はね、魅力とか伝えられるような紹介ブログを書くのがいいとは思うんですけど、誰かのことを紹介するとかが苦手なんですよね。
「この人はこうだ!」って自分が決めつけてしまうのが怖くて。
(けど過去そういうことをしていた自覚もあるので、昔の自分の文章を読むと心があいたたたとなります。心の通風。)
だからまぁ、安定に自分語りとなりますがご容赦ください。
さて、本題です。
あづくんは、私にとってどういう存在なんだろう。と考えることがあります。
何年か応援していて、度々考えることはありながら、なかなか答えが出なくて。
ところが最近ふと思い至りました。
あづくんは、私にとっての光です。
燦燦と降り注ぐ陽光
というよりは、もっと近くで道を照らしてくれる街灯のような存在です。
好きな人・もの・ことの存在を、「光」と例える方って結構いらっしゃると思うんです。
けど私それが今までよくわかんなくて。
自分が落ちたとき、どん底で暗闇の中にいるとき、真っ暗じゃないですか。何も見えないじゃないですか。そんなときはどうなんだろうって疑問があったんですよね。
なぜかというと、光=太陽って捉えていたから。
でもね、自分が実際にダメになって全部が真っ暗闇になったときがあって、そのときに気が付きました。
暗闇の中でも、足元を照らしてくれる光があれば、なんとか持ちこたえられるんだって。
それが、私にとってはあづくんだったんです。
ライブに行き、緑色のペンライトを振りながらずっとあづくんを目で追うこと。大好きな歌声を聴くこと。指先まで気を抜かないパフォーマンスに、感情表現に、心を掴まれること。
撮影会に足を運んでお話しすること。話題作りのために企画を練ること。写真撮るときにふざけること。会いに行くための服を考えること。
そうやってあづくんのことをみつめる時間にどれだけ救われたか。
感謝しかないです。
ずっとずっとありがとう。
ご存じの通り*1、私は「好き」がとっても多い人間です。
推しもあづくんだけではないし、アイドル以外にも好きなものはたくさんあります。
でも、今はあづくんのことが一番好きです。
言葉にすると認めたことになるので、認めることが怖かったので、ずっと心に留めていたけど。
もしかしたら結構前からそうだったのかもしれません。
だからこその「光」なのだろうし。
光だとか希望だとか、そういうのって縋るとほぼ同義だと思ってあんまり好んで使ってこなかったんです。
けど、縋らせてくれる余地があるだけありがたいなって思うし、おかげさまで私は生きているし、たぶん使うとしてもあなたにだけだなってことでこのようなブログになりました。
お誕生日おめでとうございます。
あづくんの過ごす毎日が明るくて優しい日々でありますように。
大好きです。
おわり。
*1:フォロワーしかブログ読まないだろと思ってる表現、良くない。知らない人はどうぞ覚えて帰ってね!